Lisboa(リスボン)のPastéis de Belémで久しぶりにPasteis de nata(エッグタルト)を購入しました。カウンターで熱々を2ついただき、その他に一人3つずつお土産に。。。といっても、帰りの電車で2つずつ食べてしまい、残りも翌朝の朝食代わりにいただいて終わり。Pastéis de BelémのPasteis de nataは、いくらでも食べられてしまいます。。。
さて、持ち帰り用の箱を見ると、Fado(ファド)がUNESCOの無形文化遺産(Património Cultural Imaterial da Humanidade )にノミネートされているとか。。。QRコードが印刷されていて、YouTubeへのリンクが張られていました。
ポルトガル。なんだか遠い国という気がしますが、実は日本が最初に接した西洋の国。古い交流の中で、日本文化にすっかり溶け込んでいるポルトガル文化はいろいろ。そんな遠くて近い国、ポルトガルの日常を、縁あって垣間見ることになりました。少しずつご紹介していきたいと思います。
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Monday, October 17, 2011
Sunday, October 2, 2011
Manhã escura
| às 7h00 da manhã em Lisboa |
対してポルトガルは、ヨーロッパ大陸の国で唯一グリニッジ標準時GMT (Greenwich Mean Time) を採用している国です。スペインの西部の地域と経度はあまり違いませんが、一時間遅く朝を迎えます。スペイン人の説に従えば、早起きが多いはず。。。ですが、どうでしょうか。。。
ポルトガルは比較的緯度が低いにもかかわらず、ヨーロッパの他の国と同様、夏時間を採用しています。スペインほどではないですが、日の出とともに目を覚ましたい日本人にとっては、夏にも関わらず朝が暗い。。。と思ってしまいます。
緯度が低い南欧の国に、夏時間なんているのかしら、というのが正直な感想です。
Saturday, August 27, 2011
Estilo manuelino
| Mosteiro dos Jerónimos |
ただし、Estilo manuelino(マヌエル様式)という言葉が使われるようになったのは19世紀になってからのことだそうです。
Friday, July 29, 2011
Pastel de nata
"pastel de nata"は、直訳すると「クリームのタルト」ですが、日本ではエッグタルトとして知られているお菓子です。
Lisboa(リスボン)にある"Pastéis de Belém"は、1832年から続く"pastel de nata"の店。修道院の秘伝のレシピを受け継いでいるそうです。
Lisboa(リスボン)にある"Pastéis de Belém"は、1832年から続く"pastel de nata"の店。修道院の秘伝のレシピを受け継いでいるそうです。
Monday, July 25, 2011
Cheira a Lisboa
Cheira a Lisboa(リスボンの香り)は、1972年にAmália Rodrigues(アマリア・ロドリゲス)が歌ったファドの曲。
エステーの消臭力のCMで、日本でも知られるようになった少年Miguel Guerreiro(ミゲル・ゲレイロ)が、Uma Canção Para Tiの最終戦で歌って、優勝を勝ち取りました。当時10歳のミゲルは、Uma Canção Para Tiでは、何回かファドを歌っています。
エステーの消臭力のCMで、日本でも知られるようになった少年Miguel Guerreiro(ミゲル・ゲレイロ)が、Uma Canção Para Tiの最終戦で歌って、優勝を勝ち取りました。当時10歳のミゲルは、Uma Canção Para Tiでは、何回かファドを歌っています。
Wednesday, June 15, 2011
Cantores de Portugal
震災後に目にするようになったエステーの消臭力のCM。Lisboa(リスボン)の街並みを背景に、ポルトガルの人が歌を歌っています。
エステー宣伝ドットコムによれば、リスボンでの撮影は震災後に急遽決まったそうですが、リスボンが1755年の大地震からの復興を遂げた町であるということは、後から知ったそうです。エステーの特命宣伝部長の方は「なにか大きな力を感じてしまいました」と書かれています。
エステー宣伝ドットコムによれば、リスボンでの撮影は震災後に急遽決まったそうですが、リスボンが1755年の大地震からの復興を遂げた町であるということは、後から知ったそうです。エステーの特命宣伝部長の方は「なにか大きな力を感じてしまいました」と書かれています。
Sunday, June 12, 2011
Sardinha assada
この時期、ポルトガルでは、各地で聖人を祝う祭りがおこなわれています。
Lisboa(リスボン)のSanto António、Porto(ポルト)のSão Joãoなど、それぞれの町の聖人を祝います。
この祭りにかかせない食べものは、 Sardinha assada。焼いたイワシです。
Lisboa(リスボン)のSanto António、Porto(ポルト)のSão Joãoなど、それぞれの町の聖人を祝います。
この祭りにかかせない食べものは、 Sardinha assada。焼いたイワシです。
Friday, May 20, 2011
Encomendas Namban
リスボンにあるFundação Oriente Museuには、日本に関係する展示やワークショップがあります。そのひとつが、"Encomendas Namban" (Namban Orders)。ポルトガル人が日本に暮らした、1543年から1639年までの期間のポルトガルと日本の交流がもたらした文化を展示しています。
展示は、4つのセクションに分かれています。
展示は、4つのセクションに分かれています。
- A Arte da Guerra - Art of War
- Arte Kirishitan - Christian Art
- De Lisboa ao Japão - From Lisbon to Japan
- Olhares sobre os Namban-jin - Perspectives of Namban-jin
Tuesday, April 26, 2011
25 de Abril
4月25日は独裁政治が終結した日で、ポルトガル各地で自由を記念する集会が開かれました。
ポルトガルでは、1933年から40年にわたり、António de Oliveira Salazar(アントニオ・サラザール)による独裁政権が続きました。これが、無血革命といわれるRevolução dos Cravos(カーネーション革命)により終結したのが、1974年の4月25日です。
ポルトガルの記念日は日付で呼ばれることが多く、この日も単に "25 de Abril" と呼ばれています。そして、通りの名前や橋の名前に使われます。もっとも有名なのは、リスボンの「4月25日橋」でしょうか。
ポルトガルでは、1933年から40年にわたり、António de Oliveira Salazar(アントニオ・サラザール)による独裁政権が続きました。これが、無血革命といわれるRevolução dos Cravos(カーネーション革命)により終結したのが、1974年の4月25日です。
ポルトガルの記念日は日付で呼ばれることが多く、この日も単に "25 de Abril" と呼ばれています。そして、通りの名前や橋の名前に使われます。もっとも有名なのは、リスボンの「4月25日橋」でしょうか。
Friday, April 1, 2011
Vasco da Gama
| Vasco da Gama repousando na igreja do Mosteiro dos Jerónimos |
リスボンのMosteiro dos Jerónimos(ジェロニモス修道院)に眠っています。
Sunday, March 13, 2011
Terramoto de Lisboa de 1755
18世紀にリスボンで起きた大地震もマグニチュード8.5と推定される大きいものでした。
地震と津波で壊滅したリスボンの街を、ポルトガル人は、強い指揮のもと、1年以内に復興させたと言われています。今私たちが見るリスボンの美しい街並みは、18世紀のリスボン大地震の後の復興への尽力の賜物なのですね。
それまで地震のような事象は、神の制裁などと考えられていたそうですが、敬虔なカトリックの国であったポルトガルでこのような大地震が起こったことを境に、地震に関する科学的な研究が始まったと言われています。
250年以上たった今では、地震のしくみについてかなりわかってきたとはいえ、自然の猛威に対しては、人間の無力さを痛感せざるをえません。とはいえ、こんなに大きな被害を目の前にしている私たちには信じられませんが、各国のメディアでは、日本の地震対策が多くの命を救ったと報道されているそうです。
科学・技術の力と、迅速で人道的な対応・支援によって、今後の被害が最小限にとどめられることを信じたいと思います。
地震と津波で壊滅したリスボンの街を、ポルトガル人は、強い指揮のもと、1年以内に復興させたと言われています。今私たちが見るリスボンの美しい街並みは、18世紀のリスボン大地震の後の復興への尽力の賜物なのですね。
それまで地震のような事象は、神の制裁などと考えられていたそうですが、敬虔なカトリックの国であったポルトガルでこのような大地震が起こったことを境に、地震に関する科学的な研究が始まったと言われています。
250年以上たった今では、地震のしくみについてかなりわかってきたとはいえ、自然の猛威に対しては、人間の無力さを痛感せざるをえません。とはいえ、こんなに大きな被害を目の前にしている私たちには信じられませんが、各国のメディアでは、日本の地震対策が多くの命を救ったと報道されているそうです。
科学・技術の力と、迅速で人道的な対応・支援によって、今後の被害が最小限にとどめられることを信じたいと思います。
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